身の上ばなし

おもしろい人がフォロワー数多くなかったのでもう自分がおもしろければそれでいいやって思った

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今日、おもしろい本を読んだ。
読「んだ」というか、まだ2割しか読んでないけどものすごくおもしろくて。

今はいったんタイトルを伏せるけど(といってもFacebookでは思い切り書いたが)、著者の活動そのものがすでにユニークでおもしろいのに、文才たまんねぇ~!って感じで。立て続けにハズレ本を引いて、やっぱ読書は性に合わんわ…と思っていた自分の冷めた気持ちを一気に沸騰させた。やってることがおもしろいし、それが文章になってもおもしろい。「こんな文章を書きたい」、ましてや34歳になって「こんな人になりたい」と思えたことは初めてかもしれない。そうか、子供時代にこんな経験をすれば人は夢を抱き努力をするのだな。

で、ここからが本題。

著者はTwitterもやってるかな?こんなおもしろい本を書く人だ、フォロワー数もよっぽどだろう…と思って探したら、いた。いたんだが、フォロワー数が意外と少なかった。少ないというか、その人自身がフォローしている数が多いために目立つほどの多さではない。こんなおもしろい人がなんで!?、と思うと同時に、自分の中で無意識に抱いていた「おもしろい人=フォロワー多い」という図式がガラガラと崩れ、積年の憑き物が落ちていった気がした。ものすんごく傲慢で自己中心的な考えだけど、と断った上で書けば、「あ?なんでこんなおもんないヤツがフォロワー数多いねん」と感じることが最近よくあったという背景もあっただろう。おもしろい人がSNS的にハマってフォロワー数が多いことはあっても、フォロワー数が多いことがおもしろい訳ではまったくないのだ。分かっていたはずだ。

Twitter後の世界では、SNSを使って情報発信、ましてやそれが自分の顔を出していたり、活動に関わっている内容であるほど、たいていの人たちがフォロワー数という概念を気にするようになってしまった気がする。たぶんに洩れず自分もそうで、アカウントをつくって間もない頃からフォロワーと大喜利を楽しむなんてことをはじめたこともあってか、9年くらい前から意識してしまっている。いや、ごめん、違うな、高校3年の頃にはじめたメルマガのときだ。あのときから読者が何人いるか、増えたか、減ったか、ということを気にしている。そうするともうかれこれ17年、人生の半分は自分に関心を注がれる眼差しの数を気にし続けていたんだろう。お恥ずかしい話だが、私は自己承認欲求の塊だ。利他的な考えを持っていない訳ではないが、そこに見返りがないと不満を抱いてしまうとても小さなエゴイストだ。

でも、メルマガを書いていた頃はまだよかった。以前書いた振り返り記事でもあった通り、メルマガでは意味もなく文中のボケを数えてみたりしていて、紛れもなく自己採点をしていた。つまり、ほかでもない自分を笑わせるために書いていた。告白します。「なんで俺こんなおもしろいこと思いつくんやろう、俺っておもしろいな」と全力でうぬぼれながら書いていた。自分を自分で笑わせて、そこで増える読者の数やいただくコメントに対し「自分の感性に共感してくれた数」といううれしさはあっても、その数のために書こうと思ったことは最後までなかった。最後まで自分一人を笑わせようとしていた。ただ最近は…。

しかし、その読者数はいつからかmixiのコメント数やブログのPV、そしてTwitterのフォロワー数になっていって。ただ多い・少ないだけでなく、ついには「フォロワーは多いのにフォローしている人が極端に少ないとカッコイイ」なんて歪んだ価値観まで持つようになってしまった。でもそれってまるでさ、「自分は興味ないんだけどフォロワーがついちゃってね~」といったスカした態度じゃないか。いいじゃねぇか、フォローしたって。たくさんの人をフォローして興味を持つ方が、たとえこちらに向けられたフォローを外されようが、どうでもよくないか?プライドの置き場所がそこでいいのか?いちおう弁明すると、私自身は気になった人を片っ端からフォローするようにしている。そんな好奇心と先の歪んだ価値観が衝突して、葛藤もあって、他人のフォロワー数に嫉妬したりなんかしていたって訳。

そこで話を最初に戻すと、自分がもろ手でおもしろい!!バンザイ!!と思える人のTwitterアカウントは、なんとフォロワーが少なかった。少なかったというか、その人もまた自分に対して関心を持った人は片っ端からチェック&フォローしていた。と思う。興味のハードルが低い。でも、そうだよな。スカした態度などより、自分の見え方なんて気にせずに、常に関心が外に向いている人の方が私はカッコイイと思う。たった2割までしか読み進めていない限りでの人物像ではあるが、姿勢はなんだか一致する。本人は露知らずも、私にそんな考え方を示してくれ、当たり前に気づかせてくれたことを感謝した。それまで身近な存在だった人間が、フォロワー数の多い人間と絡みだして、「一線越えた」みたいな話も聞くけれど、虚像だ。禁断の惑星に出てくるイドの怪物だ。自我が怪物の形を借りて出てきた、という。バトル漫画で幻を見せられたがゆえに一見すると強そうに見えるけど思い切って殴ったら倒せるやつだ。

自分を笑わせるには、本来ならば自分だけでも事足りる。それは寂しいと言う人もいるのかもしれないが、それで十分楽しめたんだ。それを周りが勝手に見て勝手に笑っている、自分はぜひ勝手に笑えと言う。そんな状態が理想的だ。ネット上で不特定多数に対して公開するなんて、たかだかオマケなのだ。褒められたらそれはうれしいけど、臨時ボーナスをもらったくらいに捉えるのがちょうどいい。記事をそろそろ終わりにする。

数字を気にすることはもうヤメだ。メルマガを書いていた当時の初心に戻り、ただただ自分がおもしろければそれでよしとする。最低限、内容に数字への気遣いは持ち込まない。それがいつだって正解、というか、少なくとも自分にとっては幸せなのだ。そういえば、昔から人に合わせることが苦手で、ゼロから手探りでやったことだけ上手くいく。そうだったそうだった。自分が感じるおもしろさは数字じゃないのだ。誰の目も気にせず、いつでも自己採点で100点満点を目指したい。

いちおう断っておくけど、これは自分が一次創作者で、作品に全責任を持てる場合に限る話だ。チームプレイでは昔から絶望的に個性は出せないんだよ、それで歩調も合わせづらいから、インターネット時代のお陰で、社会不適合者のギリギリのラインで仕事できている。

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