身の上ばなし

嫌われる理由を無視しつづけていい死に方ができるか

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もしかしたら自分は、めちゃくちゃ性格が悪くて、いまだにそれに気づけていないのかもしれない。

仕事上でクレームを付けたとか、自分のやりたいことで振り回したとか、あとは単に底意地の悪いことを言ったとか書いたとか、ハッキリと理由が分かるものも、また分からないものもふくめて、これまで「明らかに距離をとられたな」と感じてきたことはたびたびある。

そんなときは相手を内心、こちらが嫌い返したり、バカにしたりすることで、精神衛生を保ってきた。自分はベトナムの日本人社会で面識のない人からあることないことを触れ回られることも多かったし、実際にそんな根も葉もない噂を鵜呑みにした知人たちを知ってるからだ。言うまでもなくお分かりだろうけど、こういうことには打たれ弱い。

あと、これは理由としては最悪だけど、いっそのこと言ってしまうと、一方で自分と仲良くしてくれる人は確かに存在してくれたから、そこに甘んじてとても自分自身の行いに非があると思わなかった(思わないようにしていた)。しかし最近、あることがきっかけで、「いつまでもこのままでいいのだろうか」と思ってしまった。

理由が分かる相手ならまだいいと思っている。ボタンの掛け違いもあるだろうけど、自分にも言い分はあったりするし、相手のやり方が許せなくて言い方がきつくなったこともあれば、望んではいないものの正当だと思うから嫌ってもらって構わない、と思うこともある。

しかし、そうではないこと、理由もサッパリ分からないまま嫌われていることに対し、いつまでも「噂」や「仲の良い友人たち」をこじつけがましく理由にして、無視しつづけていいんだろうか。理由が分からないとしても、暗中模索だったとしても、自分自身の悪いところを直しつづけていかないと、きっといい死に方はできないんじゃないか。そう思った。

自分は本当にベトナムにいる間に性格がねじ曲がってしまったと思っていて、今あるモチベーションのひとつに「バカにしたやつを見返す」というものがある(ソフトな表現にしたけど実際はもっと恨みつらみでドロドロしてる)。だからいくら嫌われようとしても、それはそれで絶対に自分の志に従ったやり方で日の目を見て見返してやると思っていた。だけど、「バカにしたやつ」ならまだしも、「嫌った人」に対してまで、それでいいんだろうか。それはあまりにダークサイドに落ちすぎてはいないだろうか。虚しい人ではないか。

人間、相性はあるもので、仲良くなる人もいれば嫌う人もいる。それは分かってる。信念や立場がぶつかることはあって嫌われるなら、むしろ嫌い合おう。でもそれ以外の場面でも、「しょうがない」「嫌うなら俺も嫌う」「そして見返してやる」と思ったままでは…。

いや、「見返す」じゃないかも。「見直し」て欲しかったのかもしれない。

でも、このままだと、いい死に方はできないんじゃないかと思ったんです。

最終的には、「いっそ人と関わらなければ」と思ってしまうことが怖い。

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