身の上ばなし

俺にノマドは向いてない

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どこでも働けるっていいなと思ってた。

ノートパソコン一台、あと一眼レフも持っていれば格好もついてなおよしだ。もしかしたらその勝手なイメージは、昔読んだ高城剛(沢尻エリカの元旦那)の本に着想を得ているのかもしれない。日本国内のみならず、というより海外のどこかを行ったり来たりしている姿が前提であり、「だれにも縛られておりません!」というスマート感に、「ボクの職場は地球です!」というスケール感までも兼ね揃えている。その憧れのピークは4年くらい前だったか。それも、近づくたびに萎んでいって、ついにはなくなり訳が分からなくなった。というのが今現在だ。

今、たぶん自分は「ノマド」的だと思う。

職場どころか拠点もグラグラしてるけど、クライアントの理解もあって、どこでもインターネットにさえつながっていれば仕事をさせてもらえている。とか言いながらほぼ家で仕事しているし、どこでもどころか在宅ワークあるあるよろしく引きこもりがちになっているけど、ちょっとした旅行中でも空き時間を見つけて仕事ができる。面倒だなーなんて思いながら、そのじつ「縛られなさっぷり」のうまさを味わっていなかった訳じゃない。

そんな中、次の拠点を考える機会があった。

今、自分はバンコクにいるけれど、その前はベトナムに6年と3ヶ月いた。これはずいぶんパーソナルなことばかり書いているブログだし、読んでいる人で知らない人の方が少ないだろう(クソ&クソ長い身の上話は下記から読めます)。

6年余りのベトナム生活であったことすべて書く

で、なんとなくバンコクにしばらくいたら(一年の予定だったけど)ベトナムに戻ろうかなんて思っていたが、いざそのことをまじめに想像するようになり、フッと気づいてしまったのだ。重大なことに。

なぜベトナムに戻るんだろう?ベトナムに戻る理由って何?

声を大にして断っておくが、戻りたくなくなった、とか、バンコクにいたい、とか、そんな話ではない。むしろ、この生活を通して「俺はベトナムが好きなんだな」と再認識したくらいだ。バンコクはおそろしく便利な街だし、数千万人を一言で言える訳もないが、ホーチミンの方がダイナミックな街の変貌(それをいやだという人もいるが)を拝めるし、やっぱりベトナムの方が素朴な笑顔に出会えると感じる。もちろん引きこもり野郎の言うことなので、あまり参考にしてほしくはないが。自分がそう思った、というだけだ。それなら戻ればいいんでは?ちがうんだ。

なんかこう、このまま行ったら…

「今後も同じことを繰り返し、軽薄な人生になる。」

という恐怖を感じたのだ。

自分がベトナムに長くいたのは、たとえるなら流れ着いたから。日本で職を辞め、現実と理想の離れっぷりに悩み、海外旅行中にスカウトを受けた。その会社がベトナムにあったからで、それが台湾なら台湾に行っただろうし、スウェーデンならスウェーデンに行っただろう(要するにどこであっても行った)。実際にこれまでも「なぜベトナムに来たんですか?」となんべんも聞かれたが、そのたび「成り行きです」と答えていた。それは「自分で選んだ訳ではない、運がそうさせた」というニュアンスを込めていたのだと今になって思う。

あぁ、そうだ、もっと分かりやすいたとえが思い浮かんだ。子どもが家にいる理由は「生まれ育ったから」だが、大人になって一度家を出たはずの人間が家にいる理由に「生まれ育ったから」はさすがに違和感がある。そりゃ元を辿ればそうかもしれないけど、そこよりもっと目の前にある理由は何なんだ?という話。そんな、一度出た人間が、「とりあえず」なんて気持ちで戻ってはいけない。だれも責めることはないだろうが、自分だけは自分を責めるだろう。唯一、人生に口出しできる立場なのだから。

バンコク行きを決めた訳には、「いろんなクリエイターに会いたい」という理由があった(余談だがそれは望み通りの成果を得た)。だからこのあとベトナムにまた戻るというなら、同じだけの理由が必要で、見つかるまでは戻るべきではない気がする。「気」と書いたが、この存在感は絶対だ。もしここで戻ったら、「戻りたい」…言うならただの「好き嫌い」で、今後も拠点を変えて生きるだろう。仕事は、必死に頭も手も足も動かして、謙虚でいて、健康であれば、そして人に恵まれれば(これがいっちゃんしんどいが)、なんとかなるかもしれない。だが、心の軸はフラフラしつづけ老いていく。そんな人間、なってたまるか。そう思ってようやくだ、ここではじめてひとつの事実に気づいた。

あ、俺、ノマドになれねぇわ。ゼッタイになれねぇわ。

ここまで書いておいて説得力はないかもしれないけど、別にノマドという生き方を否定したい訳じゃない。ここで肝心なのは、書いたように「意義」だ。ベトナムに「流れ着いた」頃の自分は、生き方を選択できる力も持ち合わせていなかった。しかし今、ほとんど100%に近い自らの意志によって、住む場所を決められる(国ごとの生活事情は別として)。そんな立場にあって、好き嫌いを軸にあっちこっち行く自分は許せない。その前提でだよ?「海外のどこかを行ったり来たり」することはむずかしい。

ただ、思い違いしないでほしいのは、意義があればいいんだ。分かりやすく言えば目的だ。「世界のホームレスの生活環境を調べてます」とか、「世界の子どもの写真を撮り回ってます」とか、なんだっていいけど、行動の根拠に意義があれば素晴らしい。というよりどこにいようがそんな人は素晴らしい。応援してる。って、話がずれた。で、今から臭うぞ、文章で屁をこくぞ。結論が出たから。出たと言ってもうんこじゃなくて結論だぞ。

自らの意志で動く先、その向こうには夢がないといけないんだ。

人によっては臭い話、人によっては当たり前。後者なあなたがスキよ。そうすると自分は、夢があってベトナムに戻ろうとしていたのではなく、単に過去の経験からベトナムに戻ろうとしていた。クソ野郎が!ボケめ!気づくのおせぇわ!間に合ったけどな。ありがとさん。シンプルなことだった。さいわい、やりたいことはあるし、それに対しても動いている。その過程でベトナムに行く必要は出てくる。準備が整って、行こうじゃないか。とか言って実家に長く居づらくなったら前乗りするかもしれないけど。要素はいろいろあるからね!

見てろよ~~。

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